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2014年11月「メーホーソン慰霊碑清掃の旅」(11月19日のこのBLOG)にボランテアで参加して以来いくつかの疑問がありました。日本軍はビルマからインドへの戦略として鉄道建設ルートをカンチャナブリーから、そして陸路をいくつかの候補からチェンマイ・メーホーソンルートを選定しました。カンチャナブリールートでは捕虜を数多く使役し病気等で亡くした。メーホーソンルートは戦略上の撤退時に食糧不足やマラリヤなどの病気で多くの日本将兵を亡くした。 このルート以外は直接日本からビルマ(ミャンマー)に入り、インドまで至る戦略だったようだ。それが何故チェンライ県の郊外の寺院(ワットプーカオ)に慰霊碑があるのか。在タイチェンマイ総領事館から得たリストには10箇所あった。そのなかにあった。そのうち7箇所には参拝した。メーホーソン近県の2箇所には距離と時間の関係で訪問していなかった(それ以外にリストもれもあり)。 残りの碑探しを2月19日バイク通のTさんが「行ったことがある」と言う話を聞き案内してもらった。チェンセーン市の近郊ゴールデントライアングルの真ん中にある見晴らしのいい寺院の階段の上に約10数年前建立の碑が3基あった。8世紀にできた中堅の寺院である。「南無阿弥陀仏」の碑が2基と「タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼之碑」があった。ただ記述に誤りと疑問があった。“タイ人がこの戦争で亡くなった”とのことと“元文部大臣保利茂・・・・”名が書いてあり氏名はひとりだけ、他の碑には世田谷区の個人名 (寄進者らしい長瀬誠二)名だけだった。 ![]() ただ想像するには、長年鎖国政策を採ってきたミャンマーに入国できず、その想いをメコン河側のタイから見える高台に許可を得てこの寺に建立したものと思われる。 日本政府と宗教団体(遺族)そしてタイ政府やタイの寺院が複雑に絡み合っている慰霊碑探しの旅であった。この碑を建立した先達の気持ちは大切です。合掌(ワイ) ▲
by matsu999_1
| 2015-02-20 07:00
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戒名はなぜ必要か。 古く(江戸時代)は仏弟子になって此岸から彼岸にわたる「僧名」と言われ、最近はわかりやすく「天国へのパスポート」とか宗教学者の島田裕己氏は「檀家契約」論などを主張している。 *島田裕己著「戒名は、自分で決める」(幻冬舎)では、<死後の勲章、反キリシタンの証明、寺院(檀家)への寄進(戒名料)の一部、ブッデイスト・ネーム、などから切っている。 今回WATJAPANによく来るX氏 から希望があった。この方はある程度<終活>の準備は終わっている70台の方です。信仰心より社会的な習慣から希望したようだ。日本の寺院の檀家なら安くても10万円から100万円以上が相場だが、ここタイでは“無料戒名”を宣言した手前、《実費》で引き受けた。 個人のプライベートのこともあるのでさしさわりのない程度で紹介したい。もし公開が可能であれば後日このBLOGに載せます。(本人はOKだが保留中) 院号・道号・法号・位号が一般的だ。それも11文字が最大のようだ。初のタイ在住の日本人の方なので最大で最高の戒名を考えた。 ○○院殿○○○○妙○大居士、だ。13文字になった。 ここタイで亡くなることを選んでいる日本人だ。日本とタイ国で生きた証の院号、彼の人生模様を反映した道号、妙(真理)の法号と彼の氏名の一文字を、そして位号は田中角栄並の大居士にした。彼の遺骨はメコン河への散骨が遺言なのでこの戒名も一緒に燃やすか流して霊山浄土へ送られればいいでしょう。 戒名(日蓮宗では法号、浄土宗では法名と呼ぶ)希望者は、一度でもWATJAPANに来ていただいた方と小生が「チェンマイの定住者の集いの会」の講演会で<無料戒名>の宣言をしたのでその会のメンバーに限定します。多くの方が必要とも思いませんしその価値は生前本人が決めることでしょう。 ではXさん生前戒名ですが[長生きを!]。 ![]() More ▲
by matsu999_1
| 2015-02-18 10:31
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前回は4年半にわたって托鉢(菩薩)行をしてきたある日(2015年2月11日)の日誌でした。(その2)としてトピックスや見た聞いた知ったことの経験を紹介したい。 1、市場の犬の話~タースット市場には一匹の犬がいます。大家宅から別の家にもらわれていったとのことだが、托鉢に行くと覚えていてくれて寄ってきたり、吠えたり、手をなめたりするので知らない市場の人は心配してくれます。子犬のとき敷地内で一緒に数ヶ月生活しただけなのによく覚えていてくれるのには驚きです。 2、市場の商人とお客さんたち~毎日同じ売り物の方が60人以上います。そして当日だけの行商人もいます。洋服屋、雑貨屋、リヤーカーでの蕎麦屋、宝くじ屋など。お客さんも毎日来る方からたまにくる方までいます。パジャマ姿、防寒着姿の方、ハイヒールの靴の方、カレン族(首長族)の女性、など多彩です。だいたいはお持ち帰り(サイツン)の食材の購入者です。朝の5時台から9時前には終えています。 3、小生に質問の多い項目~一番が「何人(なにじん)」で、中国人とも思われています。その次の質問は「寺はどこですか」、教えてきてくれたのは男性の西洋人と大学生だけです。その次は「日本行ったことがある、親戚がいるが、日本はどこに住んでいるのか」ただ出稼ぎに行ったことのある方は托鉢で話しかけてこない。 4、寄進行為と品物の話~これは9項目を紹介したい。 ・4-1・・・寄進の品と量~寿司の寄進には驚いた。高いし朝市場で売っているとは。一般的には米とカレー、各種のスープ、野菜炒め、焼き鳥、魚、そして水やお菓子。花を寄進する方もいる。平均5人分を受ける。が、仏陀の特別行事の日には50人分以上寄進されリヤカーを借りて帰ったこともある。 ・4-2・・・・寄進額~食べ物以外受ける例外がお金です。一般的に20バーツですが、50~100バーツの方もいます。しかし特別な祝い事の寄進には高額になります。小生は500バーツの経験があり驚きです。多分息子さんの大学の卒業祝いの祝儀のお金のようでした。市場で記念写真を撮っていました。 ・4-3・・・托鉢品の処分~小生が食べるのは3食分(タイ人僧は1~2食)だけです。あまったら村の子供に上げたり、手伝ってくれるデッグワット(小僧)にもあげます。それでもあまったら犬やニワトリです。 ・4-4・・・托鉢同行者~デッグワットを同行しているのは高僧だけ。WATJAPANに宿泊した方も作務衣を着て同行していくと両方の頭陀袋にも入れてくれるやさしい方が結構います。いい経験をしたと喜んでいます。 ・4-5・・・托鉢先での供養~寺に行かずに托鉢先でも功徳(供養)を積む方がいます。それも6名の名前を読み上げさせられたときには驚きでした。多分先祖代々の方でしょう。寄進品も6つありました。 ・4-7・・・番外編①~10数年前チェンマイの村で托鉢の鉢をひっくりかえし、米を半分無駄にしてしまいました。先輩僧がうまく拾ってくれました。 ・4-8・・・番外編②~バンコクの寺院に出家していたとき、スリランカ僧と托鉢に行き沢山もらったのを川の清掃員にあげていました。寺では消化できず困ったことがありました。 ・4-9・・・番外編③~タイ人の僧侶も高齢化と身体の具合が悪くなります。托鉢でも歩けず車に乗ったままの方、椅子に座った方、帽子や毛布を羽織った方もいます。あくまで戒律では違反ですが、時代でしょう。 以上が「その2」として纏めたものです。 ![]() @写真は、タースット村の寺院の行事風景です。村の生活は寺院を中心に動いています。この寺院は週1回程度村の中を少年僧(ネーン)が托鉢に歩きます。それも前日に銅鑼で予告し、デッグワットがリヤカーを引っ張って歩きます。 ▲
by matsu999_1
| 2015-02-14 17:41
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ワンプラ(仏陀の日)には托鉢(ビンタバート)に行く。5時半ごろにニワトリの声でおき、日めくりカレンダーをめくり、ベランダで軽い体操をし、6時半ごろまで瞑想。6時40分頃明るくなってきたので僧衣を着、袈裟、鉢、頭陀袋、数珠をもちでかける。ワンプラはいつも少ないかもしれない予想だ。村の人たちはタースット村寺院へバイクで寄進に行く。5時半ごろからお経が聞こえてきた。 この日托鉢に行くタースット市場は、アナカリック寺院のアナントー師以外自分の寺に寄進しに来るので托鉢にはあまり来ない。テイオのお母さん(メー)がいつも寄進してくれ、今日は同じ市場で働く婦人が“大阪に孫がいて今日本は寒いね”!と言って後は男性がバーツ(鉢)にいれて、そそくさと行ってしまった。「後2人ぐらい」との予定が10分ぐらい誰もこないので帰ることにした。ソイ4からソイ2を回るルートだが、すでに子供たちは7時過ぎに登校、ボーイスカウトの日で2人ほどと挨拶をし、村の青空コーヒー屋の主人と目で挨拶、他の方たちは見てみないふり、ここで惣菜屋をしていたご婦人が店じまいをしたので今寄進はない。コーヒー屋も1バーツの利益商売で10バーツ~20バーツの寄進は釣られてしてくれていたがつらいし気の毒だ。 先週は食べ物と100バーツ、先々週は最高で500バーツのご婦人がいた。多分子供の大学卒業祝いだったのだろう。素足で早朝、食べ物をもらう(もらってあげる、とタイ仏教では考える)よき功徳の行為に参画でき、約1キロを歩く菩薩行ができる喜びを味わっています。 ワンプラ以外の休日の方が大学生が買い物に来る人が多く、リッチだがやはり日本人僧は、御利益と修行が違うのを知っているのかタイ人僧の方には行列だ。ただきちんと髭をそり、毅然とたっている修行をもう4年以上も続けている。托鉢での支援はテイオのお母さんは100%、それにつられて市場の人たちそして買い物客たちだ。寄進の行為に対し日本の四句誓願やパーリ語の感謝のお経での福田をする。 托鉢のことを語ればきりがないほどトピックス(「その2」にいくつかの事例を紹介)や交流がある。寄進者は女性が多い。ただ親子ずれ、学生だったり、あまり豊かそうでない方もいる。近在のタイ人僧は、代表者が来て、バスケットを持参、そして車できている。仲間や支援者の分まで持って帰る。「あまっても捨てるだけ」「効率とかもったいない」との考えや気持ちはないのは習慣ゆえのことだろう。 日本では禅宗系で修行中のみ托鉢行があるようだ。また、虚無僧(普化僧)はお金だけだ。お釈迦さん時代からの本物の托鉢の菩薩行は南方仏教だけだ! *「テイオのお母さん(メー)」は、元大家さんの兄弟の元奥さんだった方。一人娘テイオさんは高校時代北海道の高校 ![]() 有名なメーファールアン大学の看護学部を今年修了。客室乗務員か看護師を希望。お母さんは毎日市場で惣菜を売って娘を育ててきた方。 @写真のお寿司の寄進には驚いた。托鉢姿は以前BLOGに出したことがあるので割愛。 ▲
by matsu999_1
| 2015-02-13 11:02
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by matsu999_1
| 2015-02-09 19:02
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「日タイ文化交流」を目的に始めたチェンライ県郊外の村での日本語教室。その後英語教室も加えた。5年前は<無料塾>のつもりか小中学生20数名以上も放課後や休日集まった。1ヵ月後は数名以下に! いままですいぶんいろいろな方が学びに来た。村に住む人や近在のインテリと裕福層たちでタースット郡の副郡長、メーファールアン大学の学生、就職浪人、ホテルのマネージャー、食堂の女主人、電気修理店の社長、などで子供たちより長く続いたが、自分の都合で中断をしてきた。大人たちはお礼の品をいつもくれる方が多かった。 2015年1月ワットジープン前の看板に新規募集の張り紙をすると子供から2人、3人の母親から申し出があった。 女の子供2人は、慣れてくると以前の子供たちと同じで物を触ったり、使ってもかたずけなかったり、あきたら帰っていくパターン。母親から申し出の子供のなかには何故か英語の希望者が2人もいた。それも7~9歳と教えるのに難しい年齢で四苦八苦しており、早めに断るようにしている。 嘗てパクナム寺院に出家していたときと同じパターンもあった。大家さんの親戚の40歳ぐらいの女性で、それも半年ぐらい前に日本人と結婚している方で、断りずらいパターン。ご主人が一緒に教室へ来るのだが「自分でなんで教えないの!努力してだめなら正式に日本語学校に行かせてほしいね!言葉より心だね!」と独り言を言いながら”村の私塾日本語学校”へ同じ村の近さと縁で週3回も拘束されている。トホホ・・。 ![]() まあレベルの違う生徒6組と日々格闘しています。 @写真は、近在のタースット学校の運動競技(運動会)式の入場パレード。 ▲
by matsu999_1
| 2015-02-06 10:54
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タイとの縁は約40年(内タイ仏教との交流はその半分)になります。人生の半分は、日本向けにタイ文化の紹介の活動(著書の出版や学会での発表、講演そして在日タイ人のケア等) から、タイの中に入りこんで学び奉仕する形に変わりました。いい経験をいさせてもらいました。 これからの滞在は減ります。滞在中、茶話会(月2回)や日本式葬祭(法事)は無償でそして「終活」のアドヴァイスは行います。もっと多くの方にタイの魅力を伝えるために活字や写真そして講演等で実施していきたい。そして来日タイ人のためケア(特にオリンピック時)も視野に入れています。可能であれば日本人の僧侶(候補を含む)がタイでの研修や布教をするための後押しをしたい。 これまで金は自前、活動は一人との思い上がりから脱出したい。多くの支援者や協力者に感謝をしながら心のよりどころにしてくれた方たちにも感謝しております。 タイで縁を持った良識ある ![]() BLOGだけでなくあわせてホームページをご覧ください。 http://kawai.servebeer.com/~masahiro @WATJAPAN(日本寺院)がバンコクやチェンマイにあったらとの誘いもありました。資金が潤沢でニーズがある日本の信者団体はすでに上陸しています。日本の仏教界は、宗派が多く、教義が異なり統一して運営ができない悩みがあります。最低限海外では纏まってほしいものです。 More ▲
by matsu999_1
| 2015-02-02 17:13
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