長崎と横浜そして箱館は、江戸時代末期の国際貿易港でした。諸外国は既に海外に交易を求めていました。1793年にはロシアが、1846年にはペリー提督のアメリカが開国を迫っていました。そして1859(安政6)年7月1日江戸幕府は欧米5カ国(英国、フランス、オランダ、ロシア、アメリカ)と修好通商条約を締結しました。
1855年当時の『箱館』は補給基地として燃料、食料、水の補給をしていました。
来年は箱館(函館)開港150周年です。
面白い新聞を見ました。「箱館開港新聞」です。発効日は1859年7月1日です。内容は当時の交易の話題が満載です。多少推測や創作があるようです。輸入品は家具、氷砂糖、漢方角胃腸薬(大黄、甘草)ですが、三角(中継)貿易品もあると思います。輸出品は昆布、干しあわび、大豆、魚油、硫黄、鹿の角ですが、これもすべてが北海道産ではないように思います。
北海道の函館は、かつてアイヌの国ですが、江戸末期の幕府支配の時代から明治時代に入り榎本武揚率いる反政府軍との戦いの地を経ています。それは北の玄関口として最適地でしたからでしょう。現在の函館港は魚の水揚げ港として道内や東北地方から船舶が入ってきます。本当にすべてがここで消化できるのか心配するぐらい沢山の水揚げがあります。函館の水産場は見学できますので窓口に申し込みください。