アンコール王朝は9世紀に始まった。「古代クメール王国は、ヒンズー・仏教的強権国家である。政治も祭政一致のかたちをとり、バラモン教の宗教的権威が王政をささえていた」(河部利夫著「東南アジア」)。と同時に周辺国との闘いのシンボルとしての豪華な寺院建築であったと言えます。
12世紀カンボジアの王スリャヴァルマン二世(在位;1113-1145年)は、ヒンズー教を信仰していました。そのため世界遺産のアンコールワット(霊廟寺院)は、当初ヒンズー教寺院として建立されました。その後のジャヤーヴァルマン7世王(在位;1181-1218年)は、仏教を信仰していたためその釈尊の教えを豪華な寺院様式で表したのはアンコールトムと言えます。
その中心寺院のバイヨン寺院は、観世音菩薩の顔を四方に彫った見事なものです。アンコールワット建築当時から15世紀タイの侵略(アンコールワットのあるシエムリアップ市の名称もタイ語転訛説がある)で上座部仏教に変わったので特に外側の建築物は別にして壁画はインドの物語などから仏教画に変わっているところも在ります。ただ仏像は、残存するのは少なくアンコールワット内の展示もわずかです。多くの観光客は、全体のスケールの大きさそして石造り建築物の素晴らしさと彫刻美の精巧さに驚きをもって見入っていました。
世界遺跡以外のカンボジア仏教寺院としては、タイのエメラルド寺院にもあるクメール様式の本物で豪華な建築寺院以外当地でお目にかかれなかった。カンボジア戦争のポルポト政権下で破壊されたのでだろうか。廃寺も在ったし新築の寺院もあった。それにしても何かタイに比べ装飾は地味で粗雑な仏教寺院が多かったのが印象的でした。