「タイ文化は仏教が中心である、また黄檗は仏教文化の中心である」ともいえる黄檗文化研究会が5月にあり参加しました。隠元禅師が江戸時代に開創した臨済系の新黄檗宗(古黄檗は中国にあります)で多くの文化をわが国に落としています。絵画、書、彫刻、版画、印章、普茶料理、煎茶、食材(隠元豆、筍、スイカなど)、樹木花卉(きはだ・・)、建築、鐘、木魚、など羅列したらエッと驚くほどの影響を与えています。それらを研究し発展させているのが黄檗文化研究所です。万福寺には美術館があり特別展を行っています。
352年前(1654年)に中国から日本に渡来した中国人僧侶たちの足音を研究する人、黄檗寺院420カ寺をすべて訪ねて調査している人、台湾にも渡っただろう黄檗宗(寺)の歴史を調べている人、絵画・書そして音楽(楽器)を研究し分析をしている人、まだまだ分からない事実や研究課題があり大いに触発されました。
≪黄檗とタイ≫を結ぶものは何なのだろうか。琉球王朝時代の大航海時代にあるのだろうか。中国系タイ人のルーツから信仰とどう繋がるのだろうか。今はそんな思いをもって研究に注目しています。
*黄檗宗の一僧侶から手紙で微妙な評価のコメントをもらいました。「黄檗は仏教文化の一部」「<新黄檗宗>と呼ぶのは一部の学者」「日本に渡来した中国人僧侶はもっと古い」などエッセイの考えにまったく理解と共感がありませんでした。しかしもっと日本の仏教の実情を勉強したいと思います。