令和の時代に変わったら結構神社参拝者が増えている。日本は寺院より神社数が多い。約8万社ある。基本は地域を守る神様の歴史だ。もちろん個人の土地を守る祠は、神社ではないがお札やお守りなどを氏族神社から得て飾っている。タイでも大きな建物のビルや家屋の入り口に祠があったり、村の地域にもあるのは同じだ。
目下日本の神道史を学んでいるが、テーマは「神仏習合信仰」や「山岳信仰の修験道」に興味を持って調べている。しかしこれも国家神道だったり、地域型があったり、中国の影響が色濃く現れていたり、日本独特な神道ではないことがわかってきた。
そのなかで鹿児島の「照国神社」にいってこの神社は島津斉彬公の神社であることを知った。薩摩藩の軍事力は先駆的であり、外国との交流にも熱心であったことが照国神社文庫資料館でよくわかった。そして日の丸の旗の発祥はここである碑も建っていた。琉球王朝を支配していたのも薩摩藩だった。ただ宗教的には浄土真宗(一向宗)を禁止・弾圧してきた歴史がある。
そのトピックスを繋ぐと明治時代以前から
廃仏毀釈のあらしが吹いて神社中心の鹿児島になったことが見えた。明治4年の社格では国家的な功労者の祭神は、別格官幣社として27社中のひとつ「島津斎彬」=照国神社となった。
@島津氏(藩)の菩提寺は西福寺。この照国神社の裏手には島津斉彬公の像や戊辰戦争に出兵し亡くなった兵士の碑があった。また「日本会議事務局」の看板も別棟にあった。花尾神社も島津藩主の神社。