グループを統治するためには、メンバーがルールを守ることは必然でしょう。ただ運営体制側(特に行政)のためとメンバー(国民)のための権利や義務そして「教え」による違いはある。
日本国憲法の制定は戦後旧明治憲法による弊害を大幅に変更した。とくにアメリカ政府(マッカーサー総司令部)の意向と影響をうけた「天皇の象徴」「戦争の放棄」を柱とした平和主義、民主主義、国民主権の条文を権力側に義務づける内容だ。長く外交官であった幣原首相の天皇への思慕と戦争放棄の強い想いからのようだ。
全103条の一項一項に重みを感じた。一方、自民党の全体条項の改憲案には数点ほど賛成項目もあるが、旧明治憲法の「天皇制の復活や戦争のできる国そして人権や平和の優先度の違い」の後戻り案になっているようだ。
ただ、世界の仏教界では戒律の重視派や大乗派が意見の異なることで分かれてきた。しかしながら、日本仏教界では「戒律ゼロ」宗派が目立つ。タイなどの上座部仏教国では戒律の解釈か、「教え」が緩和されたような事例もある。しかし227の戒律を遵守している姿が眩しい。そこに憲法と戒律を比べたら意味があるように思える。聖徳太子は神道・儒教そして仏教精神を基本とした17条憲法を飛鳥時代に制定した。
そして20世紀の「我が国の憲法」はどうか。現代社会との矛盾や格差が多々あることはわかる。しかしながら立派で世界に誇れる憲法と思う。とくに戦争放棄の9条は世界で唯一の憲法条文と思う(第一世界大戦当時のケロップ・プリアン不戦条約はある)。又、いまだ軍事政権下のミャンマーでは憲法で大統領になれない条文があるため足かせになっているようだ。
これからも機会あるごとに憲法を学び直し、その良き日本国憲法を日常生活のなかで生かせるように監視し実践させ、できるように行動したいものです。