8年前チェンライの村に「日タイ文化交流センター」をオープンしたとき、よく遊びに来る女の子が親戚筋でこの村に日本人がもうひとりいる、とおしえてくれた。次の日連れてきた。そのOさんは50歳代で東京の区役所の生活保護課で働いていたが、<嫌気>が差し退職、独身なので年金生活までバックパーカーや四国のお遍路などをして人生の半生を見つめていたそうだ。マレーシアに旅したときホテルでは働いていたタイ人のTさんと意気投合し“タイのチェンライに帰国するので一緒にどうか”との誘いで同居生活をする事になった。1年に数ヶ月一緒に過ごしていた。
それが4年後、子宮がんに罹り、手術を繰り返したが転移をしており5年前の2月亡くなった。Wat Japanをオープンしたばかりで「日本式葬儀」の準備はできず(希望もなし)、ただ一緒にいてあげた。広い奥さんの自宅で葬儀が1週間続けられた。(2013年2月14日「タイの葬儀」をBLOGに投稿)。
それから毎年命日には奥さんと過ごしたチェンライの家に来て供養をしているようだ。其の家は当方が出家したWat tashutの目の前にあり、1月のある日、Oさんは犬を連れて寺院に散歩に来ていた。しかし、『無言・無視』。ある婦人が“彼は日本人よ”と言ったがでていってしまった。何故だろうか?それは2年前に亡くなったイアの日本招待のときのケア事件だろう。お互い疲れていたのでちょっとしたミスや誤解から「短気の虫」が爆発したようだ。
残念ながら<和解>はなかったが、其の内又会い話す機会もあろう。