2つとも善い事と思って見ています。「捨身」は身を投げてひとつの事に命を掛けることです。日蓮聖人は『法華経の受持と普及』に命を掛け数々の難に遭いました。既に756年以上前の時代を経て現代に受け継がれています。そのための一途な日蓮聖人の言動を「捨身」と立正大学の庵谷教授は呼んでいます。何事でも<一生懸命>取り組むことです。
其のもうひとつの放魚(魚の放流)は、命を大切にする仏心の表れです。タイにいくと寺院の庭で生きた魚や鳥を売っています。其れを買って逃がし自由にする善行は貴重です。「殺さないことを徹底する」行為は同じ捨身に繋がります。タイの僧侶たちは戒律の中の一番目に決められているこの「殺生」のことを日々守って修行しています。蚊が皮膚を刺しても殺しません。歩く時も蟻などがいるので急いで歩きません。土を掘って作物を植えたり取ったりしません。土の中にはミミズなどが生きています。もちろん武器を持っての戦争には反対です。これらのことを実行して生きている姿は貴重です。もちろん多くの人々にも無益な「殺生」をしないように訴えています。
この度遭遇した「慈悲心による放魚」のことは近隣の小川に鯉の稚魚を放流しようと思って環境問題の専門家にお聞きしたら<生態系を換える怖れがあるのでノー>と言うことからこの行為には問題があることに気づきました。勝手に湖や沼、池などに家で飼っていた生き物を捨てて生態系が狂っていることの問題認識を新たにしました。
人間の無知で勝手な想いが裏目にでることもありますのでくれぐれも正しく考えて行動したいものです。
*写真は、ワットパクナムの僧正の誕生日(8月26日)のパネル展から。