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7年前にブラジルのサンパウロで知ったブラジル日本移民史料館は、移住100年間の苦労を忍ぶ展示館でした。今年5月、ハワイから始まり北米に渡った移民史を知りたいと思い全米日系人博物館を訪問しました。その間には横浜にあるJICAの海外移住資料館にも行きました。それ以外にも居留地や関連団体・大学等でも多くの図書類がある事を知りました。そのキッカケのステップは身近な縁者に移民家族がいたことがあります。すでに明治以降約150年近くの移民の歴史があります。その目的は、当時の貧困な日本社会が背景にあります。 <全米日系人博物館とブラジル日本移民史料館>の展示や趣旨は異なっています。 その設置地域は今も日系人が多く住む場所ですが、アメリカでは、どうも日系人側からの視点ではなくアメリカ側からの視点のように思えました。「あらゆる世代、国籍、文化を越えて人と人とが理解し合うため」(博物館資料)からでしょう。ただいずれの資料館とも外国人の姿は希でした。全米日系人博物館の受け付係が白人や黒人のアメリカ人であることは一歩その趣旨の具現化でしょうか。貴重な研究資料もありました。ただ生の資料はブラジル日本移民史料館の方が豊富でした。 日本に住む我々はこの移民問題をもっと学び、日本の世界戦争で翻弄させられた日系人たちの辛い気持ちを知らないでこの【平和】を当然とただ謳歌していてはいけないでしょう。 現在は[黄色いバナナ]に譬えられるように、外見は日本人でも思考や心の中はアメリカ人であったり、ブラジル人であったりしています。ただ国際化の時代《人と人とが理解し合うこと》は、身近な日常生活の中でこそ大切でしょう。又、日本政府の外国人(外交)政策は移民150年の総括の前に立っていないようです。最後に「日系アメリカ人であること」のコメントを博物館で見つけたので紹介します。“私たちこころの共同体は、日本からの新移民の流入や多民族との結婚の増加などでその意義や形態もどんどん変化し、拡大しています” 〔こころの共同体〕とは自信と希望に満ちた日系アメリカ人と言うことでしょう。
日泰混血の娘から多民族子孫のプロテスタントであるアメリカ男性との挙式へ日蓮宗僧侶の父親に急遽出席要請があり、合同というかどちらかと言えば混合型の挙式が執り行われました。 キリスト教式の《バージンロードを嫁ぐ娘と歩くこと》と《お経か挨拶》をしろ。と娘達に言われ戸惑った。会場はオクラホマシテ―郊外の10エーカー以上ある広大な敷地の祖父母宅の庭。牧師は近隣の教会からの出前式典。みなさん近くても市内から車で3時間以上、遠くはドイツ、日本の外国から、アメリカ国内でもテキサス州や周辺から半日以上の道のりの参加でした。私は予行練習通り法衣を着て上手く娘と腕を組み歩けました、又出席者の反応は喜びで一杯。「回向文」で2人の健康と幸せそしてレヴァテイニスファミリーの絆を祈りました。 この式典の牧師は、大変心が広くウイットに富んでおりスムーズで威厳の満ちた進行でした。本人達が出すべき結婚届も預かって持っていってくれました。30度近い屋外での式典でしたが、終わったらすぐ黒い法衣を脱ぎ、白衣と袴姿も好評でした。 式以外のオクラホマシテーの紹介、エピソードの紹介もしたいのですが次回に。 トピックスは日蓮宗信者候補2名の獲得、私の趣味の太極拳に生徒2名の獲得そしてこれから日本人観光客がいつ訪問してもいつでも快く案内してくれる元教育者の女性ルースさんとの出会い、などが特質できます。いい結婚式でした。 *写真は少々お待ちください。
2010年7月には「日本タイ寺院(兼日本タイ文化交流センター)」を個人でタイ北部のチェンライ市郊外に開堂致しました。 篤志家のお宅の2階を無償で借用しての開堂でした(写真)。古い木造の2階は夏季の昼間は40度以上にもなり、部屋はトカゲそして鼠の巣でした。そのため住環境を改善するため改造を繰り返してきました。しかし、冷房も入れられない隙間だらけのボロ家でしたので暑い雨季は短期間の滞在です。 布教の対象は、裕福な学生に焦点を当て手始めに日本語を無償で教えてきました。しかし「布教」に繋がらず信者と言えるのは村の21歳のニート一人だけです。朝勤や夕勤の参加そして托鉢の同行をはじめ日本語や日本文化を教えてきました。その彼を慕う村の子供達の溜まり場の「寺院(センター)」でした。 この度信者の一人と日本語生徒の一人から土地の無償提供申し出を受けました。 建築費(3部屋、冷房室は1室)は40万バーツ(約100万円)で可能とのことです。 みなさんからの募金によってタイに日本仏教を広める拠点を設けることができれば小生に続く方たちや訪問者たちのためにも今後活用できることと思います。 是非趣旨をご理解いただきご協力をお願いします。 *募金目標額;100万円 * 布教所(寺院)の場所;タイ国チェンライ県メーカウトンタースット村 * 募金締め切り;2012(平成24)年6月末日 @このメイルのコメント蘭に連絡ください。公示はしません。
最近新聞や雑誌に「戒名、葬儀、墓」についての疑義が数多く提起されています。 人間は100%死にます。寿命が延びてきた日本社会です。しかしながら一人で住む年配者も多いです。そのための式(葬儀)等の必要性に<待った>をかけています。従来長男は墓を持(守)っています。その長男も墓地のある地域以外に住んでいる場合でもなかなか菩提寺の回忌案内にも係わらず行けず、墓地の引越しをする方もいます。それは「改葬」と呼ばれます。 宗教団体(宗派)に拠っては、葬式から墓地そして戒名などの方式が異なります。一番自分にあった宗教団体(宗派)をそのとき選択するのは困難です。そのため無宗派でもできる家族葬や友人葬と呼び、民間の葬儀会場を借用してお別れ会を施行します。それもできない、しない死亡者の遺族たちは「直葬」を選択します。一般的には人は病院で亡くなります。 そこから火葬場に遺体が直接運ばれます。住んでいた家にも寄らず葬儀もせず「直接火葬場へ直行」です。あと遺骨は、墓のない方は誰でも入れる納骨堂が普及中です。これもなければ無縁の墓もありますし、散骨などもあります。孤独な方の死の対応に対する専門家は病院スタッフ、行政マンでしょうか。寺院の役割は葬儀から納骨とその後が中心です。 ここからは個人の意見です。 《死の準備教育》は、死に臨むことを死以前にその対応を当人や家族が考えておくことです。そこに当人が『戒名、葬儀、墓』などを遺言や家族へ口頭で伝えることが大切です。私個人としては葬儀(式)は必要と思っています。菩提寺でも良し、民間の会場でも良し、自宅でも良し、人数や場所は関係ないです。只戒名料は高過ぎます。彼岸に行く切符代がこんな高くては問題です。「戒名の意味」の説明がこれも家族の間や寺院で行なわれているでしょうか。できれば生前に自分や家族などの周辺で決めてもいいでしょう。これを死後どう使うのか。日本仏教の葬儀(式)は反省期に入りました。ただ伝統のいい部分は残し、新たな多様な葬儀があってもいいと思います。重要なのは心の問題です。
娘と親の共催のweddingをしました。親子が遠く離れていたため実施の約半月前、会場をおさえ案内状を送りました。案内はE-Mailがほとんどです。招待ではなく会費制で、オーバー分は親が負担しました。特に変わったことの企画はないですが、中国式の丸いテーブルを5卓用意しました。これは顔が見えていい。席次は、入り口で分かるように表にし、席にも名前を書いておきました。 全員参加方式なので名簿を用意し、挨拶も全員にしてもらいました。 この方式では感動や思い出は薄いかもしれない。しかし3時間半、美味しい中国料理(銀座アスター川口賓館)を食べ、皆で話、祝賀気分を味わうことができたと思います。 伝統的な古い結婚式もいいでしょう。ただ結婚式だけの俄かクリスチャンには疑問があったのでこのような結婚祝賀パーテイもいいのだろう。 とくにハプニングはなかったです。ただ相手がアメリカから当日の参加で、飛行便が遅れた。しかし、これも堅いパーテイではないので許されたようだ。いい話、いい企画、いい…はない。ただ参加者のみなさんが心をこめて祝い、交流すれば《いい》と思います。まあ共催企画者の一人としては合格点でしょうか。 小生の太極拳のお師匠はファックスで感想を次のように送ってくれました。「とってもとってもいい会でした。2人(Sご夫妻)とも気持ちのいいあたたかさに包まれて家に帰りました。P/S;返信無用でございます」当日会場での太極拳デモは好評でした。今までの人生を過ごしてきての全ての方に感謝しての会でした。“忘己利他”の気持ちの進行でした。
「暑さに参った 参った」、と嘆いたタイでの生活を忘れ、又寒い日本の四季を思い出すためまだ雪の降る3月下旬北海道東端にある根室に行ってきました。 飛行時間と同じの根室中標津空港から根室市内までの約2時間弱の時間は、感動に次ぐ感動でした。丹頂の雄飛姿が見られたり、キタキツネも234号線に出てきたり、蝦夷鹿は車を怖れず沢山いました。冬のサファリ―自然公園でした。 翌日はこの旅の目的の2番目である北方領土を納沙布岬から見て実感したかった事でした。個人の力でできることは、まず見て感じそして地元の人たちの声を聞くことでしょう。 多くの資料が『北方館』にはありました。これまでのソビエト(ロシア)との外交的な歴史や旧島民(17291人)こともある程度理解できました。 この時期に訪れる旅人は少ないです。私は真冬の北海道が好きです。北海道のいい季節は数ヶ月ぐらいでしょうか。それ以外は寒いですが、水産物をはじめ自然資源が沢山あります。そして何故ロシアは北方4島を返還しないのか!「水産物や自然資源」があり「実効支配」があるからでしょう。一方、日本の外交姿勢には問題があります。鈴木宗男氏が国会議員になって頑張ったり、アイヌ民族の方が代表になっても、日本人の無関心が中国や韓国などとの島の領有権争いにも影響を与えています。 マスコミも教育界も学界ももっともっと知らしめ、一緒に解決に向けた努力をしたいものです。いつも思うのですが、無知は無智に繋がります。今年もう一度ゆっくりこの問題を考えるためにも<再度訪問したい>と、パートナーと話し合っています。
タイでは公式以外姓名はほとんど使わず、ニックネーム(チュウレン)が日常では普通に使われています。 そのニックネームにも意味があります。可愛い名前は、レック(小さい)、ノック(鳥)などがありますが、英語のBANK,とかマーメイドなどを若い人は使っています。 そのなかで村で一番付き合いのある21歳の青年が“日本の名前を下さい”。と言うので考えて「良人=よしと」をあげました。意味も響きもよく喜ばれました。普段はカトム(おかゆ)と村で呼ばれていたのですが、少しずつ「良人=よしと」が定着していきました。 次には日本語生徒の食堂の女主人に提案したら即OK「…子や・・・美」などが浮かんだのです。しかし、女性ですし、仏縁ですので・・・・・・「蓮」を使いました。。 「蓮名=れんな」の意味(「はす」は、仏教では素晴らしい花です。これを提案し喜ばれました。 今では食堂の店の柱に日本語、タイ語、ローマ字で書いて貼ってあります。 2人とも自らこのニックネームで自己をアピールしています。 3匹目のどじょうは「大光=だいこう」と言う名を差し上げました。私の階下に住む38歳の青年経営者にです。心が広く賢い方です。最もふさわしい名前と思っています。 呼びやすい、意味がいい、日本人が聞いてもタイ人が聞いても響きがいいことがポイントです。一生涯使う姓名と違うので多少遊び心でもいいのではないでしょうか。 これからも日本とタイとの文化交流のひとつに加えようと思っています。 ![]()
微笑みの国タイは、そのイメージのように優しい笑顔の素晴らしい国民たちです。又、外国観光客が何故タイに多く訪問するのかの2番目の理由は、物価の安さと食べ物の美味しさでしょうか。 その内、南部のアンダマン海の綺麗さと北部の山岳地の涼しさなどの好みに分かれることでしょう。 タイ北部のチェンマイは、山岳地の中心都市です。その200キロ先にあるチェンライには新しい都(チェンマイ=「マイ」は新しいと言う意味です)に来られる旅人よりぐっと減ります。チェンライ県の目玉の観光地は「黄金三角地帯のメコン河」です。そしてチェンライ、チェンセーンにある古都の寺院群の素晴らしさでしょうか! 今回、日本からの知人4人をバンコクに迎えての私の案内コースは、チェンマイまでの長距離列車とチェンライからの長距離バスで戻る陸の三角の旅でした。チェンライ県内はレンタカーの活用でした。 この知人たちは昨年5月阪急交通社主催のイタリア南部世界遺産10箇所を巡る強行軍の旅で知り合いました。その参加者の一人が病気の後遺症で杖を使用していたので途中激励の声をかけ、早朝には健康太極拳を一緒にした縁でした。 今回は、私のチェンライの館を案内しながらタイ文化を知ってもらう旅でした。 今まで個人で海外旅行をしたことがない方たちでしたが、極力3名で車(ツクツク)をチャーターし観光地に行ってもらいました。1台で5名は一緒に乗れませんので…。 パートナーは4・5回チェンライに来ていますが、今回は日本を留守がちのため感謝の招待でした。会計や交渉も全て自分でしました。パートナーは、「今まで泊まったことがないいいホテル」と感激してくれました。いつもはゲストハウス専門です。しかし当初国際線の航空券を除く1人9日間45000円の予算でしたが途中返金を3回し、使ったのは各人約3万円程度でした。それには小生の友人の協力や経験そして情報力の結果でした。ただ3名に2回ほど強く苦情を言った事以外小生の旅のパターンと大幅に違ったのは<初の個人旅行の人たち>のためと<参加者の資質の違い(常識と理解力)と勘違い(私は添乗員ではない)>でしょうか。ただここまでリュックで同じ旅ができた成果を持ち帰ってこれからの『人生の旅』に生かしてもらいたいものです。 ![]()
この比較は余り意味はありません。一言で言い表せるわけでもないし、本質は分からないです。しかしタイ人と30年以上付き合い、行き来していると仄かな姿が見えてきます。 タイ人にあって日本人に無いもの、その逆や共通しているもののいくつかを紹介します。 ・ 最近タイ人からの「嫌がらせ」に遭遇しました。私の不在中「僧坊」に無断(誰にも使わせないと契約し合鍵を住職に渡していた)で寝泊りしていて汚したり物がなくなっているのを注意したためでしょうか。私が追加してつけた鍵の鍵穴にローソクや楊枝を突っ込んでいました。それも3回以上です。住職に<危険な行為>をしないようお願いすると、最後は知っていてその私の鍵を大きなカッターで切ろうと住んでいるリス族の若者に指示しました(そのときは阻止)。ぐるでしょうか!静かで「安寧や安らぎ」をモットーにしているタイの寺院を気に入り6年前に70万円(相場の倍近くの価格)で建築した個人僧坊の危機です。それも嫌がらせで…。 ・ タイ人の約束不履行にはいつも腹がたちます。しかし怒れば<チャイイエン=冷静に・・>と逆に注意されて怒ったほうが負けです。嫌がらせの事件でも注意に対し<マイペンライ=気にしない>と無視され継続して使われ、強行に追加の鍵をつければ嫌がらせをする心理はまだ分からないタイ人気質です。この事のように約束事違反事件は沢山あります。“食事をもっていきます”。と約束し、待っていても、1・2時間過ぎても来ないので催促する。と、忘れた、用事があった。との自己主張(エゴ)は日本人にもありますがタイ人には多いです。特にタイ人は時間にはルーズです。1-59分までは同じ時間内のようです。(ひどい場合は翌日) ![]() ・ タイ人の親切度は80%、日本人の親切度は20%程度と実感しています。とくに食は食べろ食べろ、とうるさいぐらい勧めます。主人に奥さんが食べさせる習慣もあるようです(在タイ日本人の経験談)。好きな男性には良く尽くしてくれるようです(男性一人を養うぐらい普通のようです)。見ず知らずの人でも食べ物をあげるのは僧侶への寄進思想(タンブン<功徳>)の習慣からの仏教思想の慈悲行でしょうか。タイ人気質は、急がない、無理しない、思いやる、助け合うのですが、自分が大切です。これらのことの事例には暇がありません。
この記事はチェンライの日本寺院(兼 交流センター)で執筆しています。 すでに7年の間、自分の「Suchitooの独り言」をBLOGに投稿しています。ここ2年はタイで書き留めた内容を日本で入力しています。 本当は2年前チェンライで長期滞在するため中断。1~2年分を<BLOG本>にして50部作成しました。千円で販売した所、完売できました。しかしながら赤字が数万円になり調度きりがよいと認識。 しかし時々<BLOG>の内容を見て、コメントや質問があり嬉しくなり、それなら週一回位、今まで活動してきた、私の独り言「タイ・仏教・旅(交通、観光)・環境・沖縄等」のことを追加して書いてみょうと、信念がくつがえされました。(但しH・Pは未更新です) BLOGからチェンライ日本人会の会報にも転載していただいたこともあり、現地で一番身近な方に入力してもらいましたので、質間に答えたいと執筆しました。 Q1.「Suchitoo」とはどう言う意味ですか? 意味は<善心=善い心をもつ>と言うことです。 10年前バンコクのパクナム寺院に出家した時いただいた僧名です。それを<BLOG>のタイトルにしました。 Q2.何故単身でタイに滞在しているのですか? 当初は「交流・奉仕・修行」のためでしたが、1年後「布教」を加えました。 タイ人の僧侶は227の戒律中、女性の事(戒律) が一番多いです。結婚はもちろん その以前の戒律がづらりとあります。重要な五戒律の三番目にはその行為(淫行)に対し僧侶なら破門、俗人にも淫らな行為(浮気)を戒めています。 日本にパートナーはいます。タイ人の目もあり又住生活環境もあり、同居生活はしておりません。 Q3.“タイ文化”の何が気にいっていますか? 人が住み、生きる行為のすべてが<文化>と思います。 衣・食・住・芸術・自然・言葉などの歴史に引かれました。 その集大成は国旗(国王・仏教・国民)に見られます。PRになりますが1995年に『タイ文化ハンドブック』(勁草書房刊)を出版しました。今はここタイで息をし、食べそして人々の安寧生活を祈り、癒されている日々です。 ※ 入力協力;鈴木 邦明さん *チェンライ日本人会会報(3月号)に掲載したものの転載です。 ![]() < 前のページ次のページ >
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