仏教の教えである人々の救済の精神は[慈悲]です。一方、キリスト教の大きな心の教えは[愛]です。仏教では愛は煩悩です。つまり悪い行為である欲望の愛欲です。仏教の慈悲は、「慈」は慈しみで、楽を与えること(与楽)、「悲」はともに嘆き哀れむことで、苦しみを取り除くこと(抜苦)です。<瀬戸内寂聴編;仏教ハンドブックより>
最近インドで貧困と病苦の人々を救済したマザー・テレサの映画を観ました。そしてその生涯を描いた著書で(「沈黙の果実は祈りである。祈りの果実は信仰である。信仰の果実は愛である。愛の果実は奉仕である。奉仕の果実は平和である。」マザー・テレサ談)も読みました。何と言うすばらしいキリスト信仰の心[愛]からの救済に驚きと感動を得ました。そこまでに至る数々の困難を「愛の信仰心」で克服した人です。ゴータマ・シッタルダ(仏陀)も2500年以上前に人々を救済したインド人でした。何か時代は違っていても共通項があります。
立正大学の伊藤瑞叡教授は「法華教の真実と救済」という著書で≪キリスト教の神は愛の神といいます。しかし予定説を見ますと、誰にでも等しく愛を与えるのではなく、誰を愛し誰を愛さないかは、神が自由に任意に決定する≫とのべ、≪法華経をベースに日蓮聖人の教えがキリスト教の欠陥を止揚できる宗教思想<三宝一体>である≫。と述べています。
また、法華経信者の宮澤賢治も、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と述べています。
21世紀の現在もなくならない地球上での戦争や貧困そして数々の非人道的な事件を知るにつけどうしたらいいのか私自身として今年も考え行動をしなければならないと思っています。