川越市立博物館で「徳川家康と天海大僧正展~家康没後400年記念特別展」が開催されており出かけた。川越市の喜多院(創建は830年)を知っていても江戸幕府の徳川家康と天台宗の天海和尚(1536~1643)との縁のことは余り知られていない。2004年11月3日にはこのBLOGに“長命「108歳」と天海和尚”のことに触れている。そこには・・・
“天海和尚の言った長命の心得は「粗食(快通)、安眠(正直)、日湯(風呂に毎日入る)、陀羅尼(お経も毎日)、そして面白いのはおりおり下風(おなら)や極めつけはだらり(金玉と心の平静)」をあげています”。徳川家光との対話の時だ。
今回の企画展示では何をどのようにされているのか、新しい発見があるのか、が興味の対象だった(12月3日まで、入場料200円)。
徳川家康が亡くなった後、その遺骨を静岡の久能山から栃木の日光山の<東照宮>に天海大僧正が喜多院(川越)の第27世の住職でいた際の「ご忠言」で神様になった(された)。徳川家康は『神=東照大権現』となったとの証拠の書類(例えば“東照社縁起”)類が展示されていた。慈眼大師天海和尚は<天台宗では最高位の大僧正>で、西の比叡山に対し関東の(東叡山)の代表で、上野の寛永寺を拠点に、徳川幕府は天台宗と山王神道が当時の幕府の信仰の栄華であり、責任者であり徳川幕府のご意見番(アドバイザー)であった。
そのことの資料や説明が川越市立博物館で展示説明が行われていました。証拠の絵画や文書そして当時の寺等の看板類であったが一般の方には理解できないことが多いでしょう。
江戸時代はそんなに遠くないので結構資料は残っています。徳川幕府3代目徳川家光の乳母春日局の資料もあった。
@館内は撮影は禁止だった。天海和尚の木造は、川越市立博物館の案内のHPから転載した。